217642 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

石と宇宙(ソラ)のお話

万葉集

2005年1月13日(木)
万葉集とソラの歴史。

百人一首は、 風景や恋の歌と思わせていますが、
菅原道真と柿の本人麻呂と小野小町の3人で作られた和歌集で、倭の国の悲劇が隠されていて、それがバレると首を覚悟で作ったと知らされています。
ちなみに100人の作者とされていますが、和歌を贈った人の名前を付けることで公に伝える事が許されたそうです。

これまで何首かは隠された意味を知らされています。
↓は、和歌に詳しい読者からのメールです。 (>は私のレスです)

『 1月10日にシガサトの別所町という処をプロットしていました地形図を見ていると、左眼に涙がにじんできました。
思い浮かべるのは、 「お知らせ」 に人磨呂が部落の出だとありました。
別所という地名が部落と関係あるという話を本か HP かで見たことがあります。

「お知らせ」 に 「赤人はイシカミを悪くいう人です」  「私がいなくなったあと自分の歌にしました  とありました。
赤人問題 (私が勝手につけた) には興味を惹かれました。
以下私の勝手な解釈です。
赤人は人磨呂と同時代 (平安時代の初期の道真さんや人磨呂、小町の居た時代) の人物と思われます。
1 赤人の作とされている歌に、人磨呂の姿が見えるのか。
2 誰が赤人なのか。

1 について
-------------------------------------------------------
万葉集に百人一首の
【田子のうらに  うち出てみれは  しろ妙の  不二の高根に  ゆきは降つゝ】

の元歌?があります。
これは長歌と短歌との組合せになっており、その長歌をみていくと、短歌同様 (当り前と言われれば当り前なのですが) の内容が書かれております。
最後の部分に注目すべき言葉があります。

【語り継ぎ   言ひ継ぎゆかむ   富士 (ふじ) の高嶺 (たかね) は】

の部分です。
これは 「お知らせ」 2004/06/21
「という事を村人から言い伝えられていたので作った歌です。何としても残したい歌でした」
と同じ内容で驚きました。
長歌の解釈は短歌と同じかと思います。

また “柿本集” とか “人磨呂集” と呼ばれるもののなかに
【タゴノウラニ  ソコサエニホフ  フシナミヲ  カサシテユカム   ミヌヒトノタメ】

というものがあります。これは百人一首の歌と同じ意味の歌かと思います。

山部宿禰赤人が富士の山を見て詠める歌一首、また短歌。
317 
【天地 (あめつち) の   分かれし時ゆ   神さびて   高く貴 (たふと) き  駿河なる   富士の高嶺 (たかね) を   天 (あま) の原   振り放 (さ) け見れば   渡る日の   影も隠 (かく) らひ   照る月の   光も見えず   白雲 (しらくも) も   い行きはばかり   時じくそ   雪は降りける   語り継ぎ  言ひ継ぎゆかむ   富士の高嶺は】

318 反歌
【田子 (たこ) の浦ゆ    うち出 (で) て見れば    真白にそ  富士の高嶺に    雪は降りける】
--------------------------------------------------------
もうひとつ面白いのがあります。
最初 「倭文幡」 とはヒミコのカタカナの文字のことかと思ったのですが、よくよく読むと守屋と星述べの子供のことを詠っているのではないかと思えるようになりました。

私は、倭文=伺人理シトリ (道理を聞く人) =星述べ、と解釈しました。
勝鹿カツシカ=何鹿。
解釈は簡訳ですが、
遠い昔いた星述べの傍に眠る老いた楯で矢を防ぐ人は的となり死んだ。
とても立派な星述べの子供の墓はここだと聞いたが・・・
多くの時間が経ち、話だけでも、名前だけでも私は忘れることはないでしょう。

勝鹿 (かつしか) の真間(まま)の娘子 (をとめ) が墓を過 (よき) る時、山部宿禰赤人が詠める歌一首、また短歌。
東の俗語に云ふ、かづしかのままのてご
431 
【古に   ありけむ人の   倭文幡 (しつはた) の   帯解き交へて   臥屋 (ふせや) 建て   妻問 (つまど)ひしけむ   勝鹿の   真間の手兒名 (てこな) が   奥つきを   こことは聞けど   真木の葉や   茂みたるらむ    松が根や   遠く久しき   言のみも   名のみも我は   忘らえなくに】

432 反歌
【我も見つ   人にも告げむ   勝鹿の   真間の手兒名が   奥つきところ】
433 
【勝鹿の   真間の入江に   打ちなびく   玉藻苅りけむ   手兒名し思ほゆ】

私の解釈ではこれらの赤人の歌とされているのも人磨呂の歌かと思われます。
----------------------------------------------------------
最後に人磨呂集のなかに、これは人磨呂が道真さんのことを歌っているのかと思われるものがあります。
オホフネノ  オモヒタノメル  キミユヘニ  ツクスココロハ  オシケクモナシ

【大船の  思い頼める  君ゆゑに  尽くす心は  惜しけくもなし】
《大きな船のように頼りにしているあなたのために 心尽くすことに惜しいことなどありません》
恋の歌のようになっているのですが・・・。

*****
>山部というのは以前、山野辺と言うのが、イシカミを封印するための
>苗字と知らされた事がありますが、まさしく反対派ですね。

*****
実はメモによると12月12日に万葉集も見ていて、私も山部とか山守というのはイシカミを封印するための人々かなと思い、気になっていた赤人の歌を調べ始めたのです。
また、「山柿の門」 (サンシのモンと読むそうです) と言う言葉が紹介のHPにも
ありますが、もし大伴の家持が平安時代以前の人なら、この 「ヤマガキのモン」
とは、ご在所岳の女王=イシカミを礼拝? することをあらわすのかなどと思っているのですが。

*****
>今まで詳しく調べたことはなかったのですが、情報と一致する時代の人ですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akah...
>赤人とは、ムウラや山彦がヤソ=白人系だったので、対抗して赤にしたそうです。
>私は人麻呂の↓の歌が気になりました。
>【をとめらが   袖振る山の   瑞垣 (みづかき)の   久しき時ゆ   思ひき我は】

>昨年堀に囲まれて出口のない屋敷の遺跡が奈良で見つかったと報じられましたが
>なぜ水堀で囲まれているのか不思議だというニュースがありました。
>(ヒミコの娘のイトがヤマトに連れて行かれて幽閉されたというので、
その時代ではなくても、その後も似たことをしてきたのでないかと思っていました)

******
万葉集378
【古(いにしえ)の   古き堤は   年深み   池の渚に   水草生ひにけり】

これも赤人が故藤原家の庭を歌ったということですが、これも人磨呂がカヨコさんが書かれている水堀のことを歌ったのかなと思っています。
藤原は蘇我かと思います。

今朝方 (1/12) の夢で大きな白地の文字で
倭文xx=しりとりxxxx
(x:不明というか覚えてないが何かの文字があったような気がします)
とありました。間違えて覚えて起きたような気もするのです・・・。

******
>《夢の意味》は
>倭文=和歌の事。
>しりとりとは
>【知っていることを取り上げる = 言い伝えられている事を歌にする事】



© Rakuten Group, Inc.